高次元の自分と呼ばれる「魂の自分」と万物の創造主である「大いなる源」。この違いに気づくことは霊的な成長において非常に重要。「魂の自分」と「大いなる源」は感じ方が全く違います。このブログでは、わたしの体験をもとに「魂の自分」と「大いなる源」の違いについて詳しく解説します^^。
高次元の「魂の自分」と「大いなる源」の違い
わたしは2012年に「魂の自分」と繋がりました。
それと同時に、わたしたちを創造した大元との繋がりも感じたんです。
でも、この時は「魂の自分」と「大いなる源」の違いが分かっていませんでした。
ただ、高次元の自分に覚醒したことだけは分かったんです。
その後、わたしが感じている高次元には2種類あることがわかるようになりました。
一つは、五次元と言われる「魂の自分」。
そしてこれは、ハイヤーセルフとか、自分のスピリットの部分などとも呼ばれているものと同じだとわかりました。
もうひとつは、一番高い次元の「大いなる源」。
神(God)、源(ソース)、宇宙意識などとも呼ばれています。
でも、その前年、少しだけ「魂の自分」を感じる体験をしていました。
その体験から、高次のわたしたちである「魂の自分」には、共通する気質があると思っているんです。
まずは、わたしの体験からお話しします^^。
夢で受け取ったメッセージは高次元の「魂の自分」?
わたしは、たまに夢でお告げを受け取ることがあります。
その夢がただの夢なのか、お告げ的なメッセージを伝えようとしているのかは、起きた時の感覚でわかります。
お告げ的なメッセージを含んだ夢を見た時は、感情が一番高まったところで目覚めて、夢がまだ続いているかのようにカラダと感情の感覚がおさまらないんです。
「魂の自分を感じた」というのも夢の中での出来事でした。
夢を通じて「魂の自分」を感じて飛び起きたのは、透視リーディングを受けるためにヒーラーと会う約束をしていた日の朝でした。
夢の中で、わたしは小さな小さな子供でした。
その姿は、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる目玉おやじのように小さく、丸い頭は赤い色をしています。
この赤い目玉の子は大きな両手に包まれて、ものすごいスピードで前進しています。まるでジェットコースターのようです。
そして、赤い目玉の子は大きな両手に包まれていることに喜びを感じて、「わーーーーい」と歓喜の声をあげています。
客観的にこの風景を見ているのに、わたしと赤い目玉の子の感情は一体となっていました。
次の瞬間、大きな両手は消えていました。
そして、孤独感と悲しみが押し寄せた赤い目玉の子が大きな声をあげて泣き叫び…
わたしは「わぁぁぁん」と大声をあげながら目覚め、ベッドから転げ落ちそうなくらいのたうち回っていました。
本当に、大人なのに「わぁぁぁん」と声を出していたんです(汗)
夢から目覚めた後、これは普通の夢ではないとわかりました。
こんな感じで、わたしはエネルギー的に何か変容しそうな時や、霊的に危険な人と遭う予定があると、前触れとして夢で知らされることがあるんです。
その日はヒーラーとの初対面の日で、夢がこの出来事に関係していると直感しました。
忘れちゃった、高次元の「大いなる源」との繋がり
この日のリーディングセッションで、ヒーラーに今朝の夢の意味を尋ねました。
実は、この頃、お守りにしていたルビーの指輪がありました。
夢に出てきた赤くて丸い感じによく似ていたので、そのルビーがメッセージを伝えようとしているのかと思っていたんです。
ヒーラーの答えは、こうでした。
「赤い目玉の子は、みさおさん自身、みさおさんの魂だよ」
「それで、大きな手は神様」
「みさおさんはある時まで神様と繋がりを分かっていたんだけど、 今はその繋がりを忘れちゃっているんだって。
本当はずっと繋がっているんだけど、忘れちゃっているんだよ」
へぇ…「魂の自分」って、あんなに子供っぽくて無邪気で、あんな風に悦びを表しているんだ…。
でも、「魂の自分」と繋がる前のわたしは、このヒーラーの言葉に半信半疑でした。
なぜかというと、ヨガを仕事にしていたこの頃、同僚に「瞑想中にとても穏やかになった」と聞かされたり、本で「瞑想で高次に繋がると頭の中がシーンと静り、無になる」と読んだから。
わたしが夢で感じた魂の自分は、穏やかでも無でもなく、ハイテンションだったからです。
しかし、「魂の自分」に繋がってから数年経って、わたしが感じていた高次元は一つではなく「魂の自分」と「大いなる源」だと分かり、
今では、ヒーラーの言う通り、魂の自分はハイテンションで悦びを感じている存在だと理解しています。
穏やかで、シーンとして、無なのは「大いなる源」の方なんです。
高次元のみんなの魂も歓喜の存在なの?
「魂の自分」と繋がった後、わたしは他の人の魂も同じように悦びを感じているのか疑問に思いました。
しかし、霊的覚醒を進める人々が「自分らしく生きるにはワクワクを選ぶべきだ」と言っているのを知り、すべての魂が喜びと情熱に満ちていることを理解しました。
バシャールの言葉「Passion(情熱)、Joy(喜び)、Exitement(ワクワク)に従って行動して」というのは、「魂の自分」に従ってね、と言う意味なんです。
「大いなる源」に、じゃなくてね。
そして、みんなの「魂の自分」は歓喜という共通の性質を持ちながら、それぞれに個性も持っています。
だから、それぞれ表現したいことも違うし、生まれてきた目的も違うんです。
「魂の自分」と「大いなる源」の違いが分からなかった時は、「高次になると全てはひとつ」と教えられていたわたし。
「なのに、なぜ魂の望みに従うと、みんなに違いが出るんだろう」との疑問がこれで解決したわけです^^。
まとめ:高次元の違いがわかると霊的成長に役立つ
わたしの夢では「大いなる源」は大きな両手、「魂の自分」は赤い目玉の子でした。
これは、万物の源とそこから派生して個性を持った意識の関係を表しています。
以前のわたしのように、「魂の自分」と「大いなる源」の違いがわからない人は多いのでは?と思って、二つの違いを解説しました^^。
違いがあると知ると、霊的成長のどこを目指しているのか、瞑想でどのレベルを目指しているのかが分かります^^。
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